二子築舘神楽保存会(ふたこつきだてかぐらほぞんかい)

  • 二子町築舘を拠点にしている二子築舘神楽保存会です。

和賀山伏神楽大福院(現新山神社)の系譜を汲む更木船渡神楽が前身とされます。船渡神楽の庭元佐藤新作のとき、

旧二子村上宿の千田和作の世話で、千田行全法院(元二子八幡神社宮司)から教えを受け、

1954年~1955年(昭和29年~30年)の両年には、斎藤幸全(上宿和賀神楽庭元の祖父)から再度教えを受けました。

1996年(昭和41年)、北上河川工事に伴う堤防建設により、更木船渡集落の一部が移転することとなり、

二子町築舘集落に19戸が移住し、それにより神楽伝承者も分割され、太鼓のみ伝授して分流することになりました。

その後、八重樫亀蔵及び佐藤房雄、斎藤重蔵の3氏から権現頭一頭が勧請されて「築舘神楽」が発足することとなり、

改めて同系統の宿大乗神楽に師事し、下舞と権現舞を習得します。

昭和50年揺全法院千田貞三から藤巻新吉ほか9名にあてて山伏権現舞の得度証が伝授されて正式に築館神楽の発足に至りました。


【演目の紹介】

七五三切(しめきり)

七五三切の舞は、陰陽道の神で方位の吉凶を司る八将神のうち、歳殺神(さいさつしん)・黄幡神(おうばんしん)・豹尾神(ひょうびしん)の舞です。
これら神々の本地仏は、千手観音と胎蔵界大日・金剛界大日の三仏とされます。
舞はザイを被り、袴を着け、刀を差した三人の舞手が、天の岩戸の前に張られたシメナワを切る様子を表現した舞です。

五勝楽の拍子で出てて扇と太刀による5段階の舞を行い刀くぐりの所作を行った後に組舞としての太刀舞である御神楽を舞、最後に振り太刀を行います。

地讃(ぢぼめ)

この舞は、“八幡舞”とも呼ばれ、八幡大菩薩と天津児屋根尊とされます。
本地仏は阿弥陀仏と観音菩薩であり、魔性を祓うための弓と破魔矢を持って舞う二人舞です。
舞の所作には、“靴脱” “三礼” “六印六の足”など、八種類の舞法からなり、最後に後生楽の舞に移り

一人は“天”に、もう一人は“地”に矢を射て、天と地を清めて終わり、次に組舞としての太刀舞である御神楽へと続きます。

神上げ(かみあげ)神事儀礼

幕納めに際して必ず執り行われる神事儀礼です。奏楽でもって仮の神座に神を迎える遷座儀礼(神おろし)に対して、迎えた神を神霊界にお送りする奉送儀礼(神上げ)です。

大乗神楽の舞は、“神おろし”という遷座儀礼で始まり“神あげ”の奉送儀礼で終わります。

下舞(したまい)

神おろし(遷座儀礼)や神上げ(奉送儀礼)の際に舞われる儀礼舞です。

一種の神に対する感謝の舞や清めの舞とも考えられます。

踊り組によっても異なりますが、舞い手は一人から数人となり、この舞が終えると上座から“権現様”が降ろされ「権現舞」に移行します。

舞い手の出で立ちは常衣に袴を着け頭部に鉢巻を締め白足袋姿で腰には錫杖と扇を差し登場します。

権現舞(ごんげんまい)

権現舞は神仏の法力と獅子の威力によって、人間社会のあらゆる災いを退散調伏させ、人々の安泰と安寧を祈祷する舞です。また、大乗神楽では神事催事の際に最初と最後に必ず舞われる舞曲で、神仏に与えられた五穀や御酒などの供物を讃辞し、豊穣を予祝する舞でもあり、権現様に頭を噛んでもらうことによって、個人にふりかかる災難や病魔を退散させることができるとされています。