村崎野大乗神楽保存会(むらさきのだいじょうかぐらほぞんかい)

  • 北上市村崎野を拠点としている、村崎野大乗神楽保存会です。

1689年(元禄2年)に当地に天照御祖神社を建立した妙法院が始めた“和賀山伏神楽”が始まりと伝えられています。

後に宮城県遠田郡桶谷の箆岳箆峰寺の修験者の影響を受け、1849年(嘉永2年)には、南笹間の万法院を会場に

第1回の大乗会が開かれ、その3年後に大乗仏教をもとにした、加持祈祷神楽であることから改編し、“大乗神楽”と改称。

1897年(明治30年)に旧二子村下宿の八幡宮宮司千田行全に舞を伝授し、大正11年には2代舘脇法全が、

二子上宿の秋葉山大権小原法覚や更木に伝授したと伝えられています。

1984年(昭和59年)4月に地域の協力と援助によって“村崎野大乗神楽保存会”が結成されるとともに幕舞を復興し、現在に至っています。

全33演目中半数以上の演目を所持。


【演目の紹介】

神おろし

幕開けに際して、奏楽でもって神座に神を迎える儀式です。

帝童~帝童の追駆

帝童は竜女で本地は師子音仏とされ、後生での孝を願うものといわれています。
紫地の穏布で頭部を包み鉢巻きをしめ、若女の仮面をかぶり日輪のカンザシ(天冠)を付けて、

裾模様のない紋付小袖に白足袋姿で錫杖と畳扇を持って舞う一人舞です。
また、追駆は車扇の舞に入った段階で登場し、女舞のまねや化粧のしぐさをまねる舞で“胴”との掛け合いがあります。
装束は、黒のヒョットコの仮面を被り、頭部にザイを折り曲げて結び、扇を持って登場します。
大乗神楽における女の一人舞は、この「帝童」だけであり、女性の日常的なしぐさを取り入れた興味深い舞とされます。

鏡を見る姿は手を鏡に見立てて顔の前に立て、見入る所作をします。

三番叟(さんばそう)

天地創造の神と言われるイザナギ・イザナミの二神の間に生まれながら、三歳になっても立居が不自由だった蛭子命が

世の苦難に耐えながら、身は健やかに心優しく成長され、後には農耕の業を知り、漁労の道に長じ、金銀財宝に恵まれたという

神話を舞に仕立てたものと言われ、神楽式舞の三番目に演じたことから、三番叟と呼ばれています。

神拝(じんぱい)

大戸之道尊(おおとのぢのみこと)と大戸之辺尊(おおとのべのみこと)の男女二神の舞であり、

大地が完全に凝固して国土が生成した時を神格化したもので、高天ヶ原において幣帛をもって形成された、

国土の安寧を神に拝む様子を演じた舞であると伝えられています。

正足(しょうそく)

正足は大威夜叉王とされ、その本地仏は観音自在如来であると言われ、悪魔外道の切り祓いのため、鉾(ほこ)を持って四方浄土として舞います。

舞形は、12の所作からなり威厳のある“阿”の荒面をつけてザイを被り襷は違い襷(たすき)にして、背中に鉾を指して佩刀し、早拍子で舞う一人舞です。

庭静

庭静とは、国常立尊と言い、本地佛は小比叡権現にて、天の岩戸の前を清めます。

面をつけ、鳥兜をかぶり、常衣袴着ます扇と錫杖を持ちます。一人舞です。

三宝大荒神舞

荒神とは、三面大国にして、本地佛は普賢菩薩と申し、四方のヒヂ掛より、大竜来って、破らんとする時、此の神は一に、飢渇神。二に貧欲神。三に障凝神。ともし、幣を立舞ます。

白三つ目に呵の面をつけ、鳥兜をかぶり、常衣・袴着、その上に袈裟をかけ、四本の幣を二本宛分けて腰の両方にさします。一人舞です。

薬師

薬師とは江戸大明神と言い、小川谷肇より悪水湧出する時、瑠璃の瓶より薬を出して、善き清水となり与えます。

面・鳥兜・常衣・袴着・背には薬師の幣広を背負います。一人舞です。

面を取り、扇を開き、その上に幣帛を横に重ね、四方に法の言い事を唱えます。

“俺 呼 虚 呼 虞 戦 駄 利 摩 橙 祈 娑 婆 詞”

太刀舞(男舞)の御神楽を舞います。

権現

権現とは熊野大権現と申し、本地は本宮弥陀那智音と称して新宮薬師と言い極楽には阿弥陀、病人には薬師、地獄には地蔵菩薩観音を観じては観世音と三十三身はおろか百千万にも身を変じて衆生を救うと言います。

【伏獅子】

熊野大権現の三拍子・五拍子・七拍子の三種類あり、其の中の七拍子神楽です。

権現の伏獅子に竜王を表現し、諸神諸佛の願力に依り後生安楽と舞八大竜王の加護を祈り、悪魔降伏、家中の霊気を払い厄病を消除します。使用する扇・刀等は末広く家運繁昌と財宝を表示し之を清め納めます。

権現さまは、山海の幸、田畑の作物を与え豊穣を祈り、清水を捧げて火災即減、火伏せの霊験を包み、また老人子供の頭を噛み無病息災、年祝い、誕生祝い、家屋の新築祝い、等に奉納します。