木造二天立像(国指定重要文化財)

  • 木造二天立像(もくぞうにてんりゅうぞう)は、両像とも寄木造り11世紀の作で藤原期特有の優美な曲線美を表現している。
  増長天立像  時国天立像

左)増長天立像 右)持国天立像

 

857年(天安元年)、文徳天皇(もんとくてんのう)は胆沢城の真北にある極楽寺を準官寺の定額寺に指定し、今の岩手県地方の文化発展の中心地とした。極楽寺の周辺には東谷、西谷、北谷など36坊があったといわれ、北谷にあったこの毘沙門堂だけが平安時代の仏像を残している。

 

向かって右の持国天立像は像高163cm、総高184cm。左の増長天立像は像高151cm、総高170cm。

両像とも寄木(よせぎ)造り11世紀の作で藤原期特有の優美な曲線美を表現している。

 

目をむいて怒った顔、天邪鬼(あまのじゃく)を踏みすえてひねった腰、振った両腕にひるがえる袖。力強い舞の一瞬が空に止まっている。どちらも鎧兜をまとった武人の姿。増長天像は口を開け、持国天像は閉じる。阿吽(あうん)の二天像として祭られたものであろう。

 

表面の仕上げは木地に布を張り、漆を塗って金箔を押すという本格的な作りである。従来まで北上地方で作られ続けたものとは全く違い、京都文化の影響を受け、優美で、洗練された趣を持つ。東北地方では平泉金色堂・いわき市白水阿弥陀堂のものと並び、二天像中の傑作といわれる。

 

前二者は彫が深く、細身でしなやか、軽快であるのと対象的に、本像は太身で、力強い重厚な趣を持つ。

都風の雅と骨太な地方の伝統が溶け合ったものだろうか。

 

1929年(昭和4年)に「国宝」指定。1950年(昭和25年)の法改正により「重要文化財」となった。

 

       

アクセスマップ